ゼロ
子どものころから、勉強が出来る友達は、そんなに勉強してる感じがしなかったような気がします。
余裕がある、と言うか要領がいいというか(*´v゚*)ゞ
ライブドアの社長だった堀江貴文さんが、メディアに登場し始めたころは、若いのにスゴイな、というより、この若造がみたいな、イメージで報じてたと思います。
大学在学中に企業した堀江氏を、私は興味深く見ていました。
プロ野球の買収の参入に候補したり、衆議院選挙に候補したり、マスコミに注目され続けていた堀江氏
彼が犯したとされる罪のことは、ここではふれません。
ずっと否認されていましたので、事実は解りません。
ゼロ ~なにもない自分に小さなイチを足していく~
堀江貴文著
堀江氏の生い立ちから起業するまで、逮捕され刑務所での暮らしが書かれています。
九州の福岡で生まれた堀江氏の両親は、ひとりっこである貴文少年にどこかクールに接していたようです。
授業参観などには1度も来ることなく、それでいて本人の意思確認もせず、柔道を習わたり、新聞配達をさせられたり・・・
イヤだと言えばヒステリックに怒られて怖い目にもあったそうです。
小学高学年の時、担任から「君のいる場所はここではない」と、変わり者と揶揄されそんなに友達もいなかった貴文少年に、20㌔も離れた中高一貫高を進められます。
合格するものの、両親は20㌔もの道のりを自転車通学するように言います。送ってくれるなんてことはもちろんバスなどの公共乗り物も許してもらえず、6年間ずっと片道20㌔の道のりを自転車通学したのだそうです。
ここで彼がスゴイのは、「20㌔の道のりをいかに効率よく早く通学できるか!!」を考え自転車を漕いでいたこと。
当時、出始めたパソコンに夢中になった中学時代はプログラミングをマスター。
それが企業をすることになった原点となったようです。
パソコンに夢中になりすぎて、高校時代の成績はどん底。
しかし、希望を高く東大に絞り、そこから反撃が始まり現役合格。
自分に課題を課し、達成していくのが堀江流です。
刑に服していた時は、最初紙袋を作る仕事を与えられ、一見簡単なようで、作ってみると1時間に数枚しかできない。それを日々決められた時間もくもくと作るだけではなく、ここでもまたいかに効率よく早くたくさん作ることが出来るか!!を考えて日々枚数を増やしていったそうです。
刑期の後半は、高齢受刑者の介護衛生班に属し身体介護を経験。
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誰しも失敗はある。
でもそこで立ち止ってしまったら終わり
ゼロになったときこそ人は冷静にならなければならないんだな、と思いました。
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