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2011年8月15日 (月)

終戦記念日

8月15日

66回目の終戦記念日

この時期はテレビなどで第二次世界大戦のことを取り上げる番組が多いですね。私達の世代は義務教育で散々色んなことを学んだので、今更という思いが少しありました。ところが、実際見てみると、私達が習ったこととは全く違う事実を思い知らされることもしばしばあります。

戦争が始まった時、敵国の言葉と言う理由で、英語教育が禁止になった日本。一方敵国を知れ、と言うことで日本語を話せる人材を教育したアメリカ

これだけでも大きな違いがあります。

戦時中、働き手の男性がほとんど出征したため、労働者の中心は女性だったそうです。ところが、戦争が終わって600万人の人々が海外から引き揚げてきて、深刻な食糧不足とともに、女性は職場からも追い出されてしまいます。

3歳児神話

子どもは母親の手で3歳までは育てないと、立派な人間にはならない、と言う国の施作で今で言う専業主婦が良し、と言われるようになります。

これは、労働者を男性中心にしようと言う策略だったと、聞いたことがあります。

戦争中、アメリカが各地の兵隊に送るため作った小麦粉が大量に余り、日本に無償提供したことで、日本にもパン食が始まります。

無償でもらった日本人は、多くの人が親米家になったそうです。しかしそれは、アメリカがその後小麦を日本に輸入させようととった処置だったようです。

また、英語教育を禁止していた日本は、終戦翌月には英会話本を発行し、360万部も売れたとのこと。

敗戦した日本もアメリカもたくさんの人々が犠牲になった戦争。

犠牲になった方々の、後に繋がれている命を大切にしなければと、改めて思います。

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コメント

英語圏に行けば、片言の英語でも通じる。暮らしてゆける。
完全な英語でなくても、英語環境がととのっているから通用するのである。
英語環境がととのっている環境で生活していれば、そのうちに、英語も上達する。

我が国においては、どんなに英語が堪能であっても就職先に困る。
それは、人々が英語を使わないからである。これでは、暮らしそのものが成り立たない。

日本の学校で6年間英語の授業を受けてもまず話せるようにならないのは、英語環境が整わないからである。
一歩学校の外に出ると英語を使わないのでは、せっかく習った英語も錆ついてしまう。
日々の学習努力も賽の河原の石積みとなっている。

日本の学生のために英語環境を整えることが、語学力を増すことにつながると考えられる。
それには、英語を我が国の第二公用語にするのがよい。
国民も政治指導者も、英語の使用を日本人のあるべき姿と考えることが大切である。

国際社会において、我が国を代表する政治家にも英語の堪能さが見られない。
日本語のみを使用する社会において、実用にならない言語の学習は空しいばかりである。それにもかかわらず、我が国においては英語教育に名を借りた序列争いばかりが激しく行われている。
英語の学習を民間に奨励するだけでは充分ではなく、英語を習得したことに対する国家の強力な報奨(incentive)が必要であります。
英語を実用の言語とする政治指導者のさきを見据えた努力が大切です。
たとえば、公務員採用試験に英語の能力にすぐれた人物に優遇処置を施すなどの法的裏づけなどが効果的でありましょう。

英米人には、手先・目先の事柄に神経を集中する特技は得られないようである。かれ等は、生涯、歌詠みにはなれないでしょう。
日本人には、英語を使って考えることはきわめて難しい。しかし、これは不可能ではない。全員ではないが、知識人には為せばなる学習であると私は考えています。
わが国民の作る細工物は出来栄えが良い。なおその上、英米流の哲学にも良き理解を示す民族となれば、未来の日本人は鬼に金棒ということになるでしょう。
だから、英語を我が国の第二の公用語とすることには大きな意義があります。実現の暁には、我が国民のみならず、世界の人々に対しても大きな未来が開けることと考えられます。

一見我が国は教育大国を目指しているようであるが、大人の教育はない。つまり、子供が大人になるための教育はない。
我が国においては、教育といえば子供の教育のことを指している。目先・手先のことのみを述べる人は、子供のようである。
大人には考える教育が必要です。一人一人に哲学が必要です。
現実と非現実の間に区別を置くことなく語る人の内容には意味がない。だから、日本の知識人には価値がない。

「感情的にならず、理性的になれ」と国民に訴える指導者がいない。
「国民の感情に反する、、、、、」と言うのでは、主張の論拠にならないが、それのみを言う。
感性 (現実) あって理性 (非現実) なし。我が国は、一億総歌詠みの国にとどまっている。

大学生は入学しても、キャンパスで4年間遊んで過ごすことになる。
無哲学・能天気の大学生は、平和ボケ・太平の眠りの中にいる。
「入学を易しく、卒業を難しく」というような教育方針は現状を観察すれば空しい限りである。

日本人は、国連中心主義が好きなようだ。
国連の議場で世界の人々を説得するためには、自己の言葉が冴えわたる必要がある。
議論のできない人があえて国連中心主義を唱えるのは、自己の他力本願を表明するための手段ということになるのであろうか。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

☆Doga様  ご訪問・コメントありがとうございます。Doga様の思いが伝わって参りました。
言語学習についてはおっしゃる通りです。次の世代に私達はどう伝えればいいのか考えさせられました。ありがとうございます<(_ _)>

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